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2006/05/06

JCB会員誌に載っていた俊輔記事

GW真っ最中ですが、皆さんいかがお過ごしでしょうか。
私はレッジョの大馬鹿野郎のせいで調べなくちゃいけないことが増えてしまったので大忙しでございます。レッジーナは最終節のユベントス戦を中立地で開催する決定に異議を申し立てたようですが、あっさり却下されたようで・・・。微かな望みを抱いていたのですが、やはり駄目だったか・・・。(涙)
最終的にナポリで決定なのかなあ。まだ二転三転あるのかしら・・・。(鬱)

さて、キルマーノック戦はスンタンが出場しなかったので試合を観ていません。もう消化試合でセルティックも気が緩んじゃってるし、アバディーン戦も出なくてもいいんじゃないですかねえ。左足甲に痛みがあるなら尚更です。

ところで、JCBカードの会員誌『THE GOLD』5月号にスンタンの記事が載っていました。「中村俊輔 海外移籍を決めた夜」というタイトルで、マネージャーの西塚氏のインタビューという形をとっています。ちょっとだけ紹介しますね。ちょっとだけと言いながら、私のことだからまた長くなると思いますが。(笑)

「おれ、マリノスを出るよ。絶対に海外に行かなければならない」
「どのような障壁があろうとも、絶対に行く」
2002年W杯最終メンバー23名から外れた後、スンタンが西塚氏と一緒に食事をしているときに強い口調でそう告げたそうです。これほど強くスンタンが意思を主張するのは初めてのことだったとか。落選の事実は冷静に受け止めたけれど、「絶対にこいつは外せない」という存在になるためにはレベルの高い海外へ行かなければという焦燥感を抑えることはできなかった。そういった事柄が最初の章に書かれています。

そこから話は西塚氏とスンタンの出会い(1997年スンタンマリノス入団。西塚氏は当時マリノスのマネージャー)まで遡り、そこから2002年W杯落選まで、スンタンが海外を意識し始める軌跡を追っています。
それによると、スンタンが海外移籍を視野に入れ始めたのは絶好調だった2000年の頃。この年はマリノスファーストステージ優勝、シドニー五輪ベスト8、アジアカップ優勝&ベストイレブン選出、JリーグMVPと向かうところ敵なしという感じでしたよね。
ところが2001年はサンドニの悲劇、スペイン戦の代表不選出、マリノスの低迷、故障&入院、代表でトップ下で使ってもらえない不満、とにかく絶不調でした。この年は海外を見る余裕はなかったようです。興味深かったのは西塚氏のこの言葉。
「弱音はいっさい吐かなかったね。もともと人に相談するタイプではないし、こちらも試練だと静観するしかなかった。ただ、『調子がよくても悪くても、僕らはいつでもそばにいるよ』と・・・」
スンタンは身近な人にも弱音を吐かないし、相談もしないんですね・・・。一人で考えて、一人で結論を出しちゃうタイプなんだ・・・。まあ相談するしないは、その内容にもよるんでしょうけど。
つーか、『調子がよくても悪くても、僕らはいつでもそばにいるよ』というのは私らファンとまったく同じスタンスなわけで、それがちょっと面白かったです。

初めてスンタンの口から海外移籍の話が出たのがマリノスJ1残留決定直後のこと。そこで西塚氏は当時マリノスの通訳をしていたロベルト佃氏と俊輔のために会社を設立。本格的に移籍先を探すことになったそうです。
そしてレアル・マドリードから正式なオファーが届くも、商業目的の獲得に西塚氏は乗り気ではなかったらしく、実力で評価してもらえるレンタル移籍にこだわった。半年レンタルでプレーし、実力が認められれば完全移籍。必要なしと判断されれば帰国を余儀なくされる。そういうやり方で成功した日本人選手は今まで一人もいなかったからというのが理由だとか。
しかしマリノスが出した条件は「完全移籍」で、3億円という移籍金に多くのクラブが二の足を踏むことに。そのため一時はレアル入りに傾くものの、W杯メンバーから漏れ「代表に入らない選手は獲得しない」とレアル側から伝えられることになります。この時スンタンは「絶対に海外に行く。一緒に戦ってくれ」と改めて宣言したそうです。

移籍先として最終的に残ったのは、かつてヒデが在籍したペルージャ。しかしペルージャは「日本人でひと儲けしてやろう」という考えだったので、西塚さんはやはり行かせたくなかった。とはいえ、完全移籍を受け入れるクラブはペルージャだけという事実・・・。そんな時、マリノスが突然レンタルを認め、レッジーナが名乗りを上げることとなります。
ペルージャかレッジーナか、回答を迫れたスンタンはロベルト佃氏と朝方まで話し合い、レッジーナを選択。その理由を西塚氏は次のように語っています。
「“未知の世界”でやりたかったんだと思う。“ナカムラ?誰?”ってところで、一から勝負しようと・・・」
そしてスンタンは半年後に完全移籍を果たし、現在代表で「絶対に外せない選手」になったわけです。昔からファンをやっている人には特に目新しい事実はないわけですが、こうやって海外移籍に的を絞って振り返ってみると感慨深いですね。

昨年スンタンはセルティックに移籍。弱いチームで対戦相手に合わせて練習するよりも、強豪チームで自分たちがどう戦うかを第一に考えてやった方がドイツW杯に向けてもいいだろうという理由だったと西塚氏が説明しています。
ただスンタン本人はW杯を「通過点」と捉えているそうです。では、W杯の先にあるものは?
「まずはスペインへ行くこと。それも、行くだけでなく活躍する。イタリアにもスコットランドにも“ファンタジスタ”は少ないんです。だから俊輔が目立つ。でもスペインにはいっぱいいる。その中でどれだけやれるか。その意味でもワールドカップは意義がある。そこで注目されれば、思っている以上にいいクラブからオファーがくる可能性がありますから」
最後、この記事は以下のように締めくくられています。

日本が誇るファンタジスタが「スペイン行き」の決断を下す---その時期は、もうすぐかもしれない。

もうすぐなんでしょうか?と、あえて釣られてみる。(笑)
まあここにも書いてあるように、全てはW杯での活躍次第ですよね。最高のパフォーマンスを披露できるよう、くれぐれも万全のコンディションで臨んで欲しいものです。

西塚氏は神保町の古書店「厳南堂」の3代目主人でもあるそうで。これは知りませんでした。店にはスンタンのポスターが飾ってあったりするのかしら?それはないか?(笑)
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